転職を機に役職が上がり、意気揚々としていましたが、求められる仕事の難易度も高くなる中で、自己流の限界を知り、危機感を感じるようになりました。そして、今までの経験の延長線上ではなく、一からマネジメントを体系的に学び、限界突破をするための知識とスキルを手に入れたいと思うようになりました。
人生100年時代となり、ビジネスマンとして生涯働くことの基礎スキルとして、経営全般に対する知識の習得が必要不可欠と感じていたため、MBA取得を志しました。また、大前学長からの直接の学びを通じてコンサルタントスキルを体得したいという思いを以前から持っており、勤務先の支援をきっかけに思いきって決断したことがきっかけです。
当社は新薬開発型の製薬メーカーであり、昨今急伸しているジェネリック医薬品は扱っていません。しかし、ジェネリック医薬品の浸透は我々の取り扱う新薬の医薬品のシェアに対して明らかに影響が出てきており、さらに特許が切れたらすぐにジェネリック品に切り替わり、売上が激減してしまうの状況です。さらに、医薬品プロモーションガイドラインの厳格化など、これまでの経験則の営業モデルでは到底生き残る事は出来ず、多くの社員が会社を去っていくような状況となっています。しかし、このような環境下で自分はどのように行動するのが正しいのか、全く答えがありません。私にとってMBA取得の決意を固めた理由は、そのような環境下でも生き残っていけるスキルを身に着けたいと考えたからです。
個人事業主の経験はありましたが、私には正社員経験がありません。そのこと自体は、たいして気にしていなかったのですが、40歳を迎える頃に、正社員の方々が20代のうちに身に着けるようなビジネスの基礎がまるでなく苦労し始めました。また、職場の同じ職位の方々は10歳近く年下であったこともあり、自分が健康で働ける時間が周囲より少ないことにも気づきはじめ、収入を上げるスピードを他の人より速くしなければ、経済的にも精神的にも余裕を持った生活が送れなくなるという危機感が生じたのです。「何か自分に付加価値をつけなくては」と焦って資格取得などの情報収集を始めたところ、日本でもMBAを取得できることを知り、時代の変化にとても驚きました。そこで、「足りない経験は知識で補おう。ビジネスというものを徹底的に学んでみよう」と決意し入学しました。
親会社である自動車メーカーへの出向が転機でした。それまでもMBAには漠然とした学習の必要性を感じていたのですが、資料請求したり他校の体験クラスに参加はしたものの、決断出来ずに気が付くと40歳を過ぎていました。当時の上司から親会社への出向を打診され、熟慮の末に、受諾しました。異動先の役割と責任(roles & responsibilities)は、幅広い知見、深い洞察力、確かな分析力と即効性のある提案力が求められる、非常にタフでチャレンジングなポジションと直ぐにわかりました。以前シンガポール駐在時代に、PSA(問題解決コース)をやっていたこともあり、直ちにBBT大学院を含めたMBA各校の資料請求とプロコン(pros and cons)表の作成、比較分析を開始しました。
父親の会社を継ぐとなったとき、今後の会社運営をどうしてゆけば良いのかあまり自信が持てませんでした。経営書やビジネス書籍などを読み独学を続けていましたが、体系的に経営学を学びたいと考えMBA取得を目指しました。
博士号まで進み、理系エンジニアとして技術開発ばかりに注力していたが、30台半ばになりマネージャー職も近づき、リーダーシップやマネジメント能力を身に付けたいと考え始めました。
トヨタで問題解決の教育を受けてきたのですが、更に問題解決能力を高めたいという動機から、入学しました。
これまでずっと技術者として専門技術を磨くことに専念していましたが、そろそろ管理者的な立場になり、会社の経営ということについて考えると、自分には何のスキルもありませんでした。また、会社を見回してみても、現在の経営陣を含めて技術者の集まりであり、会社の行く末に一抹の不安を感じました。そこで何とかしなければならないと思い、MBAを学ぼうと思い立ちました。また、大前学長の「ロウアーミドルの衝撃」を読んで、文字通り衝撃を受けたことも大きかったです。