大学卒業後、最初の5年間営業現場で経験を積んだ後、いずれの会社でも新規事業開発、新商品発売、スピンオフなど常に新しい業務に巻き込まれる機会に恵まれました。海外の本社や多国籍スタッフとやりとりする経験から、世界標準で競い合える実力とそれを証明する学位を獲得したいと考えました。
MBAをとれば得になるという発想はありませんでした。数回のアジア勤務で得た実感を学問的体系の中に当てはめた場合にどのような位置づけになるのかということをBBT大学院を通じて確認してみたいと思ったため入学しました。実際、MBAをとったからといってそれがビジネスに有利になったり、不利になったりすることはありません。MBAという看板に頼らずに自分自身を信頼して事に当たらなければいけないということを教えてくれたという意味でBBT大学院に感謝しております。
MBA取得は 特に考えていませんでしたが、英語のbrush up, 海外業務におけるスキルの向上はずっと必要性を感じていたのでそれがタイミング的にちょうどグローバリゼーション専攻だったというのが正しいのかもしれません。
留学の経験がなく、日々の業務と独学だけだったものから 何かに裏打ちされたものが必要と漠然と考えていたのでこれに2年間没頭してみようと決意しました。
いわゆるサムライビジネスの将来が暗いことには、薄々気付いていたものの、では具体的にどのようなアクションを起こしてよいか分からずに迷っていた最中、BBT大学院開校の知らせを聞き、世界で何が起こっているのか、自分でビジネスを立ち上げていくにはどうすればよいのか、という今後、何よりも重要なスキルを世界的コンサルタントである大前研一学長から直接指導が受けられる、またとないチャンスだと考え、即座に志願を決めました。MBAには何のこだわりもありませんでした。
アメリカミネソタ州へ高校留学の後、ミネソタ州立大学へ入学したものの中途退学をしており、その後子どもを育て、またシングルマザーとして社会復帰しました。その後、仕事をしていく中で学生時代にもっと学習しておけば良かったという気持ちは、後悔として常に持っていました。そして子どもが成長した暁には必ずもう一度大学で学習をしようと思っていました。そうした中、ある程度子ども達が手を離れ始め様々なセミナーに参加するようになり、日本の現状を次第に直視し、子ども達の未来のためにはこの社会がもっと発展するために役立つような仕事をしなければならないという思いが沸々と湧いてきていました。そのような時にあるセミナーでMBAを取得できるBBT大学院を知り、瞬間的にこれだ!と思いました。
前々職で元コンサルタントの同僚からクリティカルシンキングを学んだことで具体的にMBA取得を意識し始めました。40才という区切りの年を迎え(当時39歳)、やらないと一生後悔するだろうと思い、チャレンジを決意しました。
入学前から学長を慕っていた多くの学友と違って、私とBBTとの出会いは偶然に近いものでした。出張中の上海で入った日本式居酒屋のフリーペーパーの紙面で、BBT大学院の広告を見てしまったので、つい、その気になってしまいました。海外に暮らす者にとって、オンラインでMBAを取得できるというのは何とも有り難いオファーだったからです。さらに偶然、知人にも先行してBBT大学院に入学していた方がいることがわかって話を聞く機会を得てしまったので、これはもう強い縁を感ぜずにはいられませんでした。
リーマンショックを機に会社に寄りかかれない時代が到来したと感じ、自分の手持ちスキルだけではこれから飯が食えなくなるだろうと考えたのがきっかけです。だからMBA、というわけではないのですが、大前学長のコラムを拝読しており昔からBBT大学院に興味があった、というのがMBA取得を考えたきっかけではあります。
海外との日々の業務を行っていく上で、次第にコミュニケーションに英語力だけでは不足であると強く感じるようになってきました。そんな中、同じ部署内にBBTが提供しているプログラムであるイノベーション講座を過去に経験したことがある先輩からの紹介で、BBT大学院が主催するセミナーへ参加。そこに集まる参加者や主催者の意気込みに刺激を受け、私自身も英語力だけではなく、今後はグローバル化の促進、支援を率先していける人材となりたい、また現在のWeb関連業務以外に多岐にわたるビジネスエリアへと向けた可能性を模索したい、という想いから、BBT大学院グローバリゼーション専攻への入学を決意しました。
台湾のある銀行の本社での勤務時、日本のマーケティング活動を研究し、オンラインでのクレジットカード申請システムの企画に成功しました。このシステムの導入後、新会員を大幅に増加させることができ、その上、外商からの賞賛もいただきました。その後、日本のマーケティングから学ぶべきことがあると思い、まず日本へ日本語を勉強しに行くことに決め、さらには日本でビジネスマンとして働くべく、MBAを修めたいという強い気持ちを抱いていました。