自分のキャリアと人生を考える時期であったことがBBT大学院の入学のきっかけです。まず最初に、自らの価値観に向き合いながら人生のゴールを突き詰めて考えて、海外と関わる仕事を希望する心の声に従う形で転職しました。BBT大学院に入学する1年前の事です。そして転職先では良縁に恵まれ、働きながら学べる環境にあると認識し、自社の海外売上高の増加やグローバリゼーションに貢献する人材となるべく、ビジネス全般を学べる機会を探しました。
前職は90%の離職率という劣悪な環境であり、常に人事として退職面談を行うような毎日でした。そうした中、会社の費用や時間を使いMBA取得を試みた役員がいたのですが、結果的には言い訳をして1年で中退、会社の利益などを無駄にしました。また、私が入学しようとした際には、その役員から難易度が高く自分もリタイアしたからやめたほうが良いというような言葉がきっかけで、自分のお金・自分の時間で2年で卒業できれば、こうした企業の経営幹部を超えられるのではないかと考え、企業の経営者の姿勢を問い正すべく自分の人生をかけ挑戦をしました。
2007年には国内最大級のソーシャル・ネットワーキングサービス『mixi』の全盛期にエンジニアのリーダーを努めていました。全国から集った選りすぐりの優秀なエンジニアをマネジメントしていく中、ユーザー視点に熱意を傾けていた現場エンジニアの思いを実現させていくためには、様々なステークホルダーと調整が必要であり、そのためには自身の成長が必須だと感じる機会が増えてきたためMBAの取得を考えました。
現在勤務している会社では、前職の経験を活かす事で、入学前には次長職になっていました。しかし、私は大学を卒業してからは飲食業でしか働いた事がありません。今後、大きな視野で意思決定をしていく立場になるにあたり、自身の知識や能力が非常に偏っている事に気づき、このままでは通用しない、そう考えるようになりました。自身が管理職として会社経営の一翼を担うにあたって、今までの経験に基づいた感覚だけではなく、経営の実務を学ぶことが必要だと感じた事がきっかけです。
成長する中国にある子会社という事で、赤字であっても、規模が成長していれば大目に見てもらえるという甘い環境が続いていました。自分では、「いつまでもこのような環境を続けていてはいけない」と危機感を感じていましたが、感覚と経験のみに頼っていたため、具体的にどうしたらよいのかという事が見つけられずにいました。こういった状況を打破するため、体系的な経営スキルが学べるMBAの取得を考えました。
日々の業務での経験や自己学習による知識修得だけでは、自分はこの先価値ある社会人として存在し続けることが出来るのかという漠然とした不安に駆られる毎日でした。そんな中で、MBAの中のいくつかの要素に興味が湧きました。私は、体系的なカリキュラムをスケジューリングされ、その学びの結果を単位取得という結果がでる形が、継続的に学ぶ上で合っていると感じました。
在職中、マネジメントとして、会社の経営課題や経営数値についてシェアされる機会が増えたのですが、全くの門外漢で本質的に何が起こっているのか理解できず、部下メンバーに会社の状況を自分の言葉で説明することができませんでした。経営層と話していても、視点の違いを感じていました。また、役職定年などの降格人事もある中で、自分のスキルをさらに高めて、何が起きても自分自身で道を選択できる状態にしておきたかったので、経営=世の中の仕組みを体系的に学べるMBA取得に挑戦しようと考えました。
現在の部署に異動になり「新規事業を立案せよ」というミッションに対して、私はさまざまな部署を経験したものの、自社を取り巻く環境の範囲内のことしか分かっていないことに気づきました。新規事業を考える上で、経済や世の中がどのように動いているのか全然わからない状況で、右に進むべきか、左に進むべきか、判断できないことに恐怖感を感じました。例えると「大海原に投げ落とされた感覚」に危機感を抱いたのがきっかけです。
社会人として10年程働いていると、社会には慢性化している問題やサービスが届いていないニーズが多々存在することに気がつきました。30歳中盤になり、家族もできたので、給料を稼ぐためだけの働き方に疑問を持ち、自ら先陣を切って社会に存在する問題の解決に取り組みたいと考えました。
当時、営業組織に所属していましたが、主要顧客に対して、先方が納得する充分な提案ができていないことにジレンマを抱えていました。製品知識や市場動向には自信があったのですが、顧客側に受け入れてもらえるための何かが欠けていることも同時に感じていました。その時に、問題解決に関する論理的な考え方、財務や会計、組織など、経営に関する幅広く体系的な知識と経験が必要だと思い、それを学べる手段として、MBAの取得を検討しました。