お客様の潜在課題を発掘し、新規事業を企画するというミッションを得て、テーマは決めたものの、自分が何のメソッドも持っていないことに気づき、愕然。検索したところ、インターネットで学べる大学院があり、即入ることにしました。
測定機器にもお客様の用途、ニーズに合わせて流行廃りがあります。直接、装置の販売を担当する仕事ではなかったのですが、自分の仕事の将来を考えたときに10年後、20年後、自分は同じ仕事をしているか、同じ仕事があるのかと考えたときに不安になり、社会の流れ、会社の動きを学びたいと思い、勉強できる場所を探し始めました。
また、仕事も遅くまで残業して頑張っていましたが、1人で頑張り過ぎていたためか周りとぶつかることも多く、30代になってもこれではマズいと思い、何か解決方法を探し始めました。
プロスポーツチームの従業員規模は50人~100人程度と、知名度や世の中の注目度に比べて非常に小さい組織です。そのような組織において、近年アメリカでMBAを取得した方がジョインして組織を劇的に変革していく実例を何度か目にしました。そのような”背広を着たスタープレーヤー”への憧れがMBA取得を志したきっかけです。
起業して25年、50歳を目前に経営者としてパワーアップする必要性を日々痛感するとともに、(会社の成長とともに年々優秀な人材が集まる中で)優秀な幹部たちが思う存分采配を振るうのを支える見識を身につけなくてはならないと考えていました。
ベトナムのプログラマーは自分よりもスキルが高いのに日本人の5分の1の給与。
日本から海外へ仕事が流れた場合を考えると、将来的に自分の仕事が無くなるのではないかと心配しました。
また、40代・50代になったときに現役のプログラマーをしている自分が想像できず、マネージメントなどのスキルの必要性を感じました。
そのため技術力以外でも自分のスキルを持つ必要があると考え、MBAの取得を決めました。
リーマンショックや中国・韓国勢の台頭により、ほとんどの電機メーカーが業績不振に陥ったときに、自分が所属していた組織でも業績不振による早期退職者募集がありました。自分は年齢や職種の面で対象ではなく希望もできませんでしたが、お世話になった諸先輩方が早期退職で辞めていかれるのを目の当たりにしました。もし自分が同じように早期退職することになったと考えたときに、他の会社でもやっていけるスキルが自分には無いことに気づきました。そして、経営を体系的に学ぶことが必要ではないかと考え、MBA取得を決めました。
2012年に8か月間のオーストラリア長期出張を経験し、日本の文化・商習慣、コマツ(日本)では当たり前だと考えていたモノ作り思想、阿吽の呼吸で成り立っていたコミュニケーションなど、日本では当たり前だと考えていたことが通用しない世界を経験しました。その中で、様々な国から集まったグローバルなメンバーで、多様性を理解しながら仕事を行うことの難しさと楽しさを知り、グローバルに通用するコミュニケーション能力、そして共通言語となるロジカルシンキングやマネジメントスキルを学びたいと考え、グローバリゼーション専攻を志望しました。
以前の職場は官僚的組織であったため、自ら考え尽くすということなく、しばしば思考停止状態に陥ることがあったため、危機感を覚えました。「自らの置かれた職場環境に不平不満を述べていても何も変わらない。自身が変わらねばならない」という思いが強くなったのがきっかけです。正直なところ、その解決手段としてMBA自体に固執していたわけではありません。次の問いに対する回答と同様ですが、「知識を身につける」というよりはむしろ議論を介して「考える力を身につける」といった特徴を持っていたのが、MBAも取得できるBBT大学院だったというわけです。
成長をしたいと思い、ビジネス講義など単発のセミナーに参加していましたが、物足りなく、体系的に経営を学びたいと思いました。また、やりがいのある仕事が何か悩んでいたことも重なって、BBT大学院入学を決めました。MBA取得が理由ではありませんでした。
30代の頃、当時勤務していた企業でアメリカのMBAホルダーが数名いましたが、MBAホルダーは机上の空論が多いと感じており、実用的な修士だとは感じておらず、どちらかというとMBA反対派でした。その後、30代後半でカナダに在住することになり、日々の業務の中で、異文化を理解することが当面の課題になり、またたく間に時が過ぎ去りました。2013年の後半にたまたま、知人との会話の中で「これからはマスターぐらい持っていないと」と言われ、今後の事を真剣に考えていない自分に気がつきました。これからの約20年を真剣に考えないといけないと思い、一発奮起してMBAを取得しようと覚悟を決め、カナダ又は日本の大学院で、仕事をしながらでも取得できるという条件の元でリサーチを始めたところ大前学長が経営されるBBT大学院に出会い、説明会参加後に出願を決めました。