営業をしていましたが、経営に関わりたいと思い、MBAを取得を考えました。
願いは叶うもので、入学後すぐに、所属事業部の事業戦略部門へ異動が決まりました。
そこでは日々の学びを活かし、科学的なメソッドで戦略立案ができたので組織変革に貢献できたのではと思います。
この4月(2016年)からは全社の戦略を考える部門に異動となりました。
入社当初は、インストラクタという職種で装置のデモンストレーションやユーザーへのトレーニングなどの仕事を担当していました。担当している装置の専門性が高いため、装置のオペレーションをよく知っている人間が保守点検などのサポートも担当したほうが、お客様の満足度も上がるということで技術部門へ移動になり、お客様に満足いただけるようなアフターサービスを目指し日々頑張っております。
入学当初は首都圏内に本拠地を構える某プロ野球球団の広報担当として、主に事業プロモーション等に関する業務に従事していました。
入学後、日本野球機構(NPB)侍ジャパン事業部へ出向、現在はその侍ジャパン事業が事業ごと株式会社化した関係で、株式会社NPBエンタープライズの事業兼広報担当として、野球日本代表「侍ジャパン」の事業運営を担っています。
86年に単身アメリカに渡米。89年に日本語情報誌「ライトハウス」の創刊と同時に起業しました。アメリカ在住日本人のための生活情報を提供しています。現在、ロサンゼルス、シアトル、サンディエゴ、ハワイに拠点を持ち、2015年より地元日本語メディアを通して中西部もカバーしています。もうひとつの会社「ライトハウス キャリアエンカレッジ」は、主に大学や専門学校に「世界で活躍する日本人ロールモデル」にふれさせることをテーマに、海外研修プログラムを提供しています。組織で働いた経験はなく、若い頃から経営者の経験しかありません。現在従業員は約40名。
IT関連の専門学校を卒業し、大手ソフトウェア開発の会社へ就職しました。現在までWEB関連のプログラマーをしています。
BBT大学院入学前には27歳の時にベトナム法人の立ち上げなどを任され、現地代表も経験させていただきました。
20代は勉強と仕事、挑戦と経験を積み、30代をよりアクティブに仕事をしたいと思います。
BBT大学院入学前は大手ソフトウェア会社にて携帯電話やスマートフォン、企業向けPCなどの開発に携わっていましたが、BBT大学院入学の際に父親が独立して立ち上げた貴金属の地金やスクラップなどを主に取り扱う会社へ転職し仕事を手伝っています。従業員がいない小さな会社のため、役員職として経理や事務、営業や配送まで幅広く対応しています。
入社から約10年にわたって建設機械の生産工場に勤務。現場改善から新機種開発における原価管理、工場の事業運営まで幅広い業務に従事。同時に長期の海外出張等を通じ、グローバルでビジネスを行うことの難しさを痛感しました。2015年からはICTソリューション本部という、ソリューションビジネスの企画部門へ異動し、主に海外でのソリューションビジネスの企画と、日本(本社)からの実行支援を担当しています。
25年超の外資金融機関での勤務の後、BBT大学院卒業直前に転職しました。とは言っても、大学院入学当初の目標であった起業には未だ至らず、サラリーマン状態です。しかしながら、以前の大企業・官僚的組織から現在は小規模企業へと職場を大転換し、自らが志すものを更に見極めるべく新たな日々を過ごしております。
健康寿命の延伸に貢献できる優れた医薬品を患者様に届けるため、医療関係者に営業活動を行っています。また、患者様にとって不利益な副作用があるのが医療用医薬品であり、副作用の予防や適切な対応ができるよう、医療関係者のパートナーとなるよう仕事に取り組んでいます。仕事を通じて自身・仲間が成長できる組織つくりに携わっております。
現在はビィクトリア郊外に位置するインターナショナル・バカロレアを提供する私立、ボーディングスクールで海外からの生徒募集や学校間の提携業務に従事しています。仕事柄、海外出張が多く、日々、多種多様な人種の方と接していますので文化、言語を越えた相互理解が求められる仕事です。21世紀に向けて人を創る仕事ですので、やり甲斐を感じながらも高いコミュニケーションの能力が求められますので、色々な意味でチャンレンジングな日々を送っています。
出身は香川県高松市でカナダに引っ越す以前は岡山県に在住。日本では教育機関の短期海外研修プログラムのコンサルティングやプロモーションに従事していました。仕事柄、日本を含めたアジア諸国に出かけますので、それぞれの国の教育制度には高い関心を持っています。プライベートでは少年野球のボランティアコーチをしており、野球、ゴルフが趣味です。