私は沖縄県庁の農林水産部に勤務しています。専門は森林・林業職で、木材産業の振興に関する業務に従事しています。家族は妻と男の子が2人の4人です。休日は4歳になる次男坊と可能な限り遊ぶなど一緒に過ごすようにしています。学生時代はプロレス同好会を設立し、毎日プロレスや格闘技ばかりやっていました。その他、音楽もやっていて、ジャズやロックを演奏していました(今はほとんどやっていません)。趣味は音楽鑑賞で朝の出勤時からモーツアルトを中心にジャズやクラシックを聞くのが日課になっています。
私は北海道札幌市で生まれ育ち、中学卒業後に航空自衛隊の学校に入り、最初は通信電子関連の仕事につき、その仕事のオーソリティを目指して努力しました。その間、夜間大学で電気工学を学び、機会を得て大学院にも行くことができ、工学修士を取得。これまで理系一筋で、様々な研究開発事業にも携わってきました。 私の場合、定年年齢は55才であり、“もっと広く世間のことを知っておく”必要性を強く感じたのが、45才の頃だったでしょうか。39才で長男を授かり、子どももまだ小さいことから、“第二の人生”について真剣に考え始めたのもこの頃です。
現在、私は産業機械メーカーの調達部門で働いており、調達部門における企画・管理業務に従事しています。今の会社に入社して約20年が経ちましたが、研究・開発、輸出営業、海外駐在員事務所への赴任、新規市場のマーケティングなど様々な業務を経験してきました。
現在は、日本の大手ゲームソフトメーカーのアメリカ法人に勤めており、事業開発部門でシニアアナリストをしております。その前はアメリカでアジアの外交政策を研究するシンクタンクでシニアプロジェクトマネージャーとして働いていました。国やベースにはこだわりを持たず、自分の能力が活かせ、好奇心を満たしてくれるキャリアを追い続けています。
人生は一度きりなので、後悔の無いように多少後先考えていなかったり、リスク・不安定さがつきものですが、シングルで自由なときにできること、したいことを色々と試してみようと勢い任せの人生をエンジョイしています。
東京都内の大学病院で医師をしています。長年循環器内科医として心臓救急を中心とした診療、研究および医学教育に携わってきましたが、入学当時は分院の病院長として管理部門の仕事が多くなっていました。卒業後は学内で機構改革・組織再編の仕事に本格的にかかわるようになりました。今後はこれに加えて次の世代を担う良い医師を養成すべく教育分野の仕事も多くなりそうです。
現在、私は米国籍のバイオサイエンス関連の企業で働いております。前職は自動車メーカーの海外営業として日本、台湾、タイで働いていましたが、2012年2月に一念発起して現在の会社に転職をしました。お陰様で2013年4月より部門の長を任され、23人の部下を抱えることになりました。変化の速度が速い会社で日々部下と議論をしながら部門全体のレベルアップと自分自身の更なるスキルアップに取り組んでいます。今の自分があるのは、やはり前職での駐在期間中にBBT大学院で実践を交えながら勉強をしたことが大きかったと思います。
大学での専攻が中国語だったせいか、社会人17年のうち、約10年が中国でのキャリアです。今の会社は3社目で、1社目は乳業メーカー、2社目は眼鏡レンズのメーカーと、生活に密着したメーカーで仕事をさせていただいています。現在は即席めんのメーカーで、海外現地法人の業績管理を行う部門と、内部統制を行う部門の2部門を管理しています。
北海道生まれ北海道育ち。北海道大学工学部卒業後、建設コンサルティング会社に入社し、16年後に会社のマンネリ化を打破しようとBBT大学院で学び始めました。会社の主要業務は、官庁発注の道路・橋梁・河川などの建設や維持補修についての技術的なコンサルタント・設計。BBT大学院卒業後は、管理職と戦略推進室をかけもちして奮闘中。
BBT大学院の仲間と一緒に日本と上海で貿易会社を立ち上げました。元々日本に眠っている良いもの(特に東北にある芸術品や食材など)を中国のお客様に届けるように努めたかったのですが、東日本大震災による風評被害などで市場環境が悪くなってしまいまして、リスクヘッジのために現在イタリアからリモンチェッロを中国に輸入し、中国で市場開拓を行っています。流通のプラットフォームをある程度整えてからまた日中貿易を再開したいと思っております。
産業用制御機器に関する販促企画業務を担当しています。最近、過去の知識や経験だけでは対応できないプロジェクト型テーマが多くなり、BBT大学院で身につけたことを直接活かせる機会が増えてきているように思います。2年間の在学中は長男が幼稚園~小学校1年生で、次男が2~3歳でした。