大学での専攻が中国語だったせいか、社会人17年のうち、約10年が中国でのキャリアです。今の会社は3社目で、1社目は乳業メーカー、2社目は眼鏡レンズのメーカーと、生活に密着したメーカーで仕事をさせていただいています。現在は即席めんのメーカーで、海外現地法人の業績管理を行う部門と、内部統制を行う部門の2部門を管理しています。
北海道生まれ北海道育ち。北海道大学工学部卒業後、建設コンサルティング会社に入社し、16年後に会社のマンネリ化を打破しようとBBT大学院で学び始めました。会社の主要業務は、官庁発注の道路・橋梁・河川などの建設や維持補修についての技術的なコンサルタント・設計。BBT大学院卒業後は、管理職と戦略推進室をかけもちして奮闘中。
BBT大学院の仲間と一緒に日本と上海で貿易会社を立ち上げました。元々日本に眠っている良いもの(特に東北にある芸術品や食材など)を中国のお客様に届けるように努めたかったのですが、東日本大震災による風評被害などで市場環境が悪くなってしまいまして、リスクヘッジのために現在イタリアからリモンチェッロを中国に輸入し、中国で市場開拓を行っています。流通のプラットフォームをある程度整えてからまた日中貿易を再開したいと思っております。
産業用制御機器に関する販促企画業務を担当しています。最近、過去の知識や経験だけでは対応できないプロジェクト型テーマが多くなり、BBT大学院で身につけたことを直接活かせる機会が増えてきているように思います。2年間の在学中は長男が幼稚園~小学校1年生で、次男が2~3歳でした。
航空宇宙工学の博士号を取得後、某自動車会社の研究開発職として入社。その後、航空機エンジン、四輪レース車両、大型設備の開発に携わりました。現在は、量産車の燃費向上に取り組んでいます。 一見、BBT大学院で学んだ事とは関係ない分野のように見えますが、学んできたマネジメント、問題解決思考などは成果を上げるためにかなり役立っています。
外資系メーカーにてDeal ArchitectとしてService Providerを中心に技術面の営業サポートを行っています。実際には直接お客様に訪問して営業活動をすることと代理店を経由したサポートの2通りでの営業支援を行っております。自分のスキルアップを目指して英語を使う仕事を行いたかったため、外資系企業を選択し、現在も就業しています。
大学院で有機化学を学んだ後、化粧品メーカーに就職しました。入社直後は主に化粧品の製剤開発を担当し、大学への短期留学や提携企業との共同研究のために海外での生活を経験しました。その後は技術系の駐在員として、フランスを経て、現在はアメリカで主に情報収集活動をしています。
現在、私は、大手自動車メーカーにてサプライチェーンマネジメントを管理統括する部門に勤務しております。入社してから、工場での生産管理や生産と販売を繋ぐ生販計画、また、ロジスティクス関連の業務に従事し、1999年から2006年までの7年間はアメリカ・オハイオ州の工場で生産管理のマネジャーとして駐在しました。帰任してからは、企業プロジェクトなどを経験しながら、日々新しいことにチャレンジしています。アメリカでの業務・生活は、自分の視野を拡げることが出来たと同時に、より高みに登るために自分に足りないものを感じさせてくれました。
2012年に転職し、現在は自動車部品製造業の経理部で仕事をしています。次代のCFOを目指し、実務を通じて研鑽の毎日です。私の住まいは長野県の諏訪というところです。地の利と趣味を生かして、余暇には地元の山(八ヶ岳)を案内する山岳ガイドをしています。
営業前線プレーヤー及び管理職、マーケティング本部スタッフ経験後、品質保証の世界に進みました。マーケティング本部スタッフ在籍時は、BBT大学院で学んだスキルを使う場面が多かったです。一方、品質保証部に異動してからは、苦情発生原因調査及びその改善策、製品改良等に取り組みながら顧客からの苦情対応を致しておりますが、営業経験やBBT大学院で学んだ経営に関する知識を活かして、全社的観点で物事を考えるように努力致しております。 営業職在籍時は、製品(医薬品)は欠陥なく造られることが当然と認識しておりましたが、医薬品を製造するためには、大変な苦労があることを日々目の当たりに学んでいます。入社30年にして、医薬品製造業の川上から川下までを知ることができました。