過去12年の営業所管理から経営企画へと異動しました。戦略立案から新規事業立ち上げまで全方位の業務内容となっていますが、現場レベルの経験値と本学での学びが加わることによって、今の部署でやりたい・やるべきことが明確になり純粋に「仕事が楽しい」と感じています。ただ目の前の仕事に対して感じる楽しさと、自ら望んでやりたい課題に向けて動く楽しさには大きな差があり、その魅力に憑りつかれているといったところです。
これまで練馬区職員として、マラソン大会の立上げや地域コミュニティの活性化などに従事してきました。入学当時は、広報担当として、練馬区初のテレビCMを制作するなどPR活動に取り組んできました。BBT大学院での学びを通じて、日本が置かれた危機的状況を目の当たりにし、このままでは必ず日本、練馬は衰退していくと直感しました。そこで、私は、BBT卒業と同時に練馬区を退職し、現在、練馬区のよりよい未来をつくるために活動しています。
現在名古屋市で会計事務所を経営しています。以前は監査法人のコンサルティング部門でIPOや企業再生をしていました。金融機関の不良債権が経済問題になっていたころ、監査法人のコンサルティング部門で都銀の不良債権処理業務を経験しました。その経験を生かして、開業後は中小企業の企業再生業務を行い、現在も同業務をしています。
大学卒業後は流通業にて店舗庶務・出納スタッフのサブマネジメントを4年、エンターテイメント業界にて財務経理(1年半)、厨房機器会社地方営業所にて総務・経理事務を3年半経験しました。結婚後は、日系航空会社の機内食選定チームのアシスタント業務(派遣社員:1年半)を経て、縁あってグループ会社である現企業に入社。入社後は主にアジア・中国発の自社グループインバウンド路線のメニュー翻訳を3年半経験後、新規事業部署で2年半、営業事務と営業企画の業務に携わりました。卒業後の2018年春より再びメニュー翻訳チームで欧米エリア発の自社グループ員バウンド路線のメニュー・メニュー関連資料の翻訳に携わっています。
20代で生産管理業務を経験し、30代で商品企画業を担当しました。商品企画では商品戦略の立案、商品損益管理、工場の海外移管の実行などを行いました。工場担当におけるロウアーマネジメント、商品企画におけるミドルマネジメントを経験し、現在はより営業現場に近いところでマーケティングや技術営業の業務を担当しています。
大手電機メーカー系の専門商社に新卒で入社し、国内営業や貿易を経験した後、Sierに転職しましたが、この転職だけは失敗でした。その当時、体系的な知見、生きた実践的学びの重要性に気が付いてはいましたが、うまく学びの環境を自身で作ることはできませんでした。
2006年からは曲折ありましたが大手銀行系列のIT専門リース、レンタル専業の事業会社で営業管理者をしています。既存業務の見直しと効率化、新規クライアントとのスキーム確立のお手伝い等、実務もやりながらコンサルティングのようなことも最近では増えてきました。
BBT大学院の仲間とは修了してからも頻繁にディスカッションさせてもらっています。
2017年に家族と共にタイに移住し、現在、日系建機メーカーのアフターマーケットのセールス・マーケティングに従事しております。タイは東南アジアの中心拠点として機能しており、現在フィリピンとラオスの代理店と鉱山・建設事業のお客様に対しての営業活動に従事しています。
ファクトリーオートメーション業界(FA業界)において技術職とマーケティングコミュニケーション職に従事した後、現在は中国上海でマーケティング戦略担当として働いています。自社の中国事業における売上高と利益率の増加に貢献するために各種業務を推進しています。
私は20年以上、日本と外資系のテレビ、メディア、IT業界の技術者としてのキャリアがあります。今後のキャリアアップを考えるうちに、これまで独学で適当にやってきたビジネスを体系的に学び直したいという思いが強くなったことや、周囲の勧めもありMBAを目指すことになったのです。メディア企業勤務でMBA取得を目指す人は非常に少ないと思います。とても不思議です。永い歴史を誇る新聞出版、音楽、テレビ、ラジオなどの各メディア企業は、インターネット時代の到来により媒体そのものの存在意味を含め変化を余儀なくされているのにです。メディア企業は時代の一番先端を進んでいる様で、実は一番遅れているのかも知れません。その理由は過去を自己否定出来ない業界の体質が原因だと考えています。
ITコンサルティング企業にて、顧客業務改革などに従事していました。入学のタイミングで、比較的業務負荷の小さい企業に転職しました。転職前、後共に、ITのコンサルティング業務に従事しており、顧客は流通小売・製造・金融と様々です。入学のタイミングは丁度10人強程度のチームリーダーでした。