仕事、家族とのバランスは大変でした。仕事は当時、上海で勤務をしていて出張なども多くあって忙しく、しかも家庭ではちょうど子供が生まれたタイミングでした。更に勉強で時間も取られるということで、心身ともにきつく家族にも迷惑がかかると思い、始めて数カ月で2年間での卒業はあきらめて、3年かけてと考えを切り替えました。
ただ、腰を怪我してしまい、何か月かは会社も休み、治療に専念せざるを得ない環境になってしまい、最終的には4年間かけての卒業に。自分自身の時間はすべて勉強に費やして、移動の時間、睡眠時間を少なくして勉強時間を捻出しました。本来なら家族と過ごす時間を勉強に充てているため、家族の理解が重要です。
BBT大学院に入学を決めた時に自分に誓った内容として、「もし仕事の実績が悪くなってもBBT大学院のせいにしない」「休日には必ず家族サービスを行う」という2つを挙げました。ですから、勉強は毎日帰宅してからということで大体夜中の1時位からスタートし夜中の4時位に終了して就寝というスタイルになりました。また、休日の家族サービスのことを考えると、休日の午前中と夕食を終えた後が勉強タイムとなりました。この時間でも十分単位は取得出来ますし、勉強したことは身につきます。私の場合、この時間に加えて営業活動の移動時間に講義の復習等を行っていました。
仕事は自分でコントロールできる部分がある程度あるので、それほど調整に苦労しませんでした。一方、家族の理解を得るのには苦労しました。配偶者を説得する必要がある方にとっては、家事や子育てに注力してもらうのを我慢してもらうことが一番実情に近いかもしれません。
何か新しいことを限られた時間制約のある生活の中に組み込むには、基本的に方法は二つしかありません。今やっていることの一部を止めるか、もしくは個々のイベントを効率化するかです。実際にはこの二つを組み合わせてバランスをとることになります。
具体的には、睡眠時間は多少削る必要がありました。朝型・夜型両方試しましたが、結局朝は起きられずに夜寝る時間を遅くにしました。また、週末の一日は集中して勉強する時間に充てました。一方で、日曜日は完全にオフにし家族と時間を過ごすなどして、メリハリをつけることにも気をつけました。
あと、忘れてはならないのは家族の協力です。幸い妻も子供も、私のやっていることに理解を示してくれ、例えば勉強に集中しているときには邪魔にならないようにするなど気を遣ってくれました.家族の支えがなければ修了は難しかったといえるほど、これは大切な点であり、本当に感謝しています。
毎日が仕事と学びでは長期的にはもたないと考え、日曜だけは出来るだけ休息日にすることを意識しました。入学して半年間は日曜も勉強漬けでしたが、前期を乗り切ると色々なコツがつかめてきて日曜に休むことが出来るようになりました。どんな授業も最初はキツくても必ずコツがつかめてくると思いますので、諦めずに取り組み続けることが大事だと思います。
BBT大学院で学んでいるからと言って、仕事が疎かになることは本末転倒であり、絶対にしないと誓って進学しました。家族に対しては、入学決定時に妻からの大きな支援が得られていたこともあり、正直一番犠牲になってもらうことになりました。というのも平日遅れがちな受講進捗をキャッチアップするために週末はほぼPCの前に釘づけとならざるを得なかったからです。公私ともに、オンとオフとをはっきりさせることを公言し、とにかく24時間のタイムマネジメントを充実させるよう心掛けました。
学習計画は、大きい計画と小さい計画を立てれば、両立は可能だと思いました。大きい計画は単位を落とさない、リカバリーできるように3カ月単位の計画を立て、小さい計画は講義をちゃんと吸収する、やるべきことをこなすように週単位で計画を立てました。仕事やプライベートにより、常に状況が変わるため、大小の計画を見直すことで確実に学び、単位を取得できるような軌道修正ができたので、気持ちに余裕を持って両立することができたと思います。
正直、すべての両立には四苦八苦しました。勉強時間は一日7時間以上という感じでした。勉強70%、仕事25%、家族5%といった具合です。最初呆れていた、夫も2年目の卒業時期の追い込みの時は応援してくれるようになりました。結婚後、こんなに一生懸命になっている私を見たのは初めてだったようです。答案の投稿締め切り日は、カップラーメンでもOKでした。仕事場は、いままで私が仕切っていた業務を若手職員が担当してくれました。このため、2年間で、若手の成長が見られました。仕事場でも、追い込みの時は、わき目もくれず、PCに向かっておりましたので、その姿はかなり、周りに驚きを与えました。そんな姿に惹かれたのか、仕事の仲間も家族も卒業式には一緒に涙を流して拍手してくれました。今でも応援してくれた皆に感謝しています。
毎日を行き当たりばったりではなく、1ヶ月・2ヶ月先の予定を決定し、それに沿って過ごす、という事でしょうか。バランスという言葉の意味が非常に難しいところかと存じますが、仕事も遊びも“締まり”をもって行っていたと感じています。つまり、だらだら遊ぶ、だらだら休む、そのような事を少なくし、エブリタイム全力投球という日々を送ることによって、バランスを保っていたと記憶しています。
家族には自分の「覚悟感」をきちんと伝えて、一定期間負担をかけることをお願いし、了承をもらいました。時には大前研一ライブなどを一緒に視聴したりもし、家族観や家族それぞれの人生観にも前向きな影響をもらいました。