13歳で家族とともに中国から日本に渡り、日本の中学、高校、大学で学び、卒業後に日本国内の寝具メーカーへ就職。営業、仕入れ、商品MDを経て30歳の時に中国青島市で現地法人を立ち上げ、以降現地の責任者を務めています。現在は主に日本市場向け製品の生産組み立て、品質管理および輸出入業務に従事しています。
入社当初、食品成分の機能性に関する基礎研究に従事し、特定保健用食品・医薬品原料開発の後、サプリメントの製剤技術及び原料・製品開発を行う技術開発部に異動しています。
ソフトカプセル製剤、顆粒製剤の技術開発、商品開発の担当を行い、現在は当部を管理するマネジメント業務に従事しています。
中央省庁、地方自治体部門のソフトウェア製品の使用許諾(ライセンス)面からの販売企画、マーケティング、製品開発、ユーザーへの提案まで販売に関わる部門を担当し、個別顧客ニーズに合わせた販売契約へのカスタマイズ、契約締結管理をする、ソフトウェアビジネスの中でも、ユニークな役割を担っております。
人事系のコンサルティングを行っています。主たるクライアントは医療機関であり、人事制度全般の改定や人材育成・各種研修などのサービスを提供しています。最近では、M&A時におけるデューデリジェンスやその後のPMIなどのサービス提供が増えてきています。
前職では部品の設計をやっていましたが、このままではアジアのローカルの企業に品質で追いつかれコストで負けてしまうだろうという危機感から自動車メーカへ転職しました。仕事の領域としては前職の部品からより高付加価値の自動車のシステムに変わりましたが、自分自身にも更に付加価値を付ける必要性を感じBBTで学ぶに至りました。BBT大学院を卒業すると同時にこれまでずっとやってきた技術の仕事を離れ、部のリソースマネジメントに関わる仕事をしています。
法律事務所から現在の職場に転職し、10年にわたって教務と運営の仕事に携わって参りました。20代では教務スキルを身につけ校舎責任者を経験、30代では校舎展開と人材育成業務を行って参りました。現在は教務部門のリーダーとして、大学入試に関する教務と校舎運営管理、人材育成の仕事を行っています。
クライアントは、日系企業から外資系グローバル企業まで様々です。激動する世界の情勢をどのように見てビジネスリーダーとしていかに行動するかといったテーマで、企業研修とアドバイザリー業務を行っております。また、最先端の世界の情報を収集するために、頻繁に海外を視察しております。相互利益になるビジネスを通じて民族や宗教の融和を進めることをミッションにしております。
世界最大の医薬品受託製造企業のアジア進出に際し、アジアでのバイオ医薬品関連事業開発の責任者を務めています。製造業としては遅れた製薬業界、さらに欧米に比して10年ほど遅れた日本のバイオ医薬品生産について、最新の技術と概念を持って日本への貢献をしています。日本からのグローバル化を目指す企業から、完全にグローバル化した企業を経て今のアジアへのグローバル化を目指す企業へと職を変わったこと、さらにはそれぞれで研究職、セールス&マーケティング、事業開発に現場でかかわったことから、期せずして「現場からの下から目線で広く製薬業界を知る」ことができました。加えて、武田薬品勤務時代に7年かけて作成したある生物学研究の基礎理論と解析ソフトウェアについて、丸ごと個人へ譲渡いただきました。このソフトウェアを利用した副業を立ち上げ、究極的には武田薬品時代の社内ベンチャー企業を本当の企業とすべく取り組んでいます。
現在、外資系製薬企業にて安全性部門のラインマネジャーを務めています。医薬品の安全性情報の収集、評価、当局対応、Global本社と連携したプロジェクト運営などに携わっています。在学中に18年間務めた国内食品メーカーの研究所勤務から転職しました。研究職から事務職への転身のみならず、食品から製薬、さらには国内企業から外資へと変わり、同僚や職場環境から仕事の仕方まで大きな変化を経験しています。
証券株式会社などを経て、1996年経営コンサルティング会社を設立しました。そのような経験からすべてのビジネスパーソンにコミュニケーション力や論理的思考力が必要であることを痛感し、現在は研修講師&人材育成コンサルタントとして企業の人材育成に力を注いでいます。株式会社ブレイクビジョン代表取締役。
主な著書は、『プレゼンできない社員はいらない』(クロスメディア・パブリッシング)、『超カンタン!あがらずに話せる正しい方法48』(現代書林)、『30歳までに手に入れたい仕事力99』(フォレスト出版)、『どんな問題もシンプルに解決する技術』(同文舘出版)などです。