世界最大の医薬品受託製造企業のアジア進出に際し、アジアでのバイオ医薬品関連事業開発の責任者を務めています。製造業としては遅れた製薬業界、さらに欧米に比して10年ほど遅れた日本のバイオ医薬品生産について、最新の技術と概念を持って日本への貢献をしています。日本からのグローバル化を目指す企業から、完全にグローバル化した企業を経て今のアジアへのグローバル化を目指す企業へと職を変わったこと、さらにはそれぞれで研究職、セールス&マーケティング、事業開発に現場でかかわったことから、期せずして「現場からの下から目線で広く製薬業界を知る」ことができました。加えて、武田薬品勤務時代に7年かけて作成したある生物学研究の基礎理論と解析ソフトウェアについて、丸ごと個人へ譲渡いただきました。このソフトウェアを利用した副業を立ち上げ、究極的には武田薬品時代の社内ベンチャー企業を本当の企業とすべく取り組んでいます。
現在、外資系製薬企業にて安全性部門のラインマネジャーを務めています。医薬品の安全性情報の収集、評価、当局対応、Global本社と連携したプロジェクト運営などに携わっています。在学中に18年間務めた国内食品メーカーの研究所勤務から転職しました。研究職から事務職への転身のみならず、食品から製薬、さらには国内企業から外資へと変わり、同僚や職場環境から仕事の仕方まで大きな変化を経験しています。
証券株式会社などを経て、1996年経営コンサルティング会社を設立しました。そのような経験からすべてのビジネスパーソンにコミュニケーション力や論理的思考力が必要であることを痛感し、現在は研修講師&人材育成コンサルタントとして企業の人材育成に力を注いでいます。株式会社ブレイクビジョン代表取締役。
主な著書は、『プレゼンできない社員はいらない』(クロスメディア・パブリッシング)、『超カンタン!あがらずに話せる正しい方法48』(現代書林)、『30歳までに手に入れたい仕事力99』(フォレスト出版)、『どんな問題もシンプルに解決する技術』(同文舘出版)などです。
20代の頃は大手プラントエンジニアリング会社とIT系企業に勤務していました。30歳で父親から事業を継承し、代表取締役に就任して3年目となります。事業再建は初段階が終了し、数字に表れる成果が出てきています。現在は引き続き事業再建に取り組み、並行して更なる発展を目指し新規事業の検討に注力しています。
世界に50以上の生産拠点を構えるグローバルな製造メーカーのIT関連部署に所属しています。現在は業務改革プロジェクトのリーダーとしてアメリカに駐在しています。多国籍メンバーからなるプロジェクトチームはダイバーシティそのもの。多様な価値観のもと日々奮闘しています。
私は、自社コールセンターのシステム運用や企画などを行っています。コールセンターシステムで大きなプロジェクトがある時は、プロジェクトメンバーとして、システム導入の計画と実行を行っています。そして、私の業務の目的は、システム運用に留まらず、業務の改善や問題解決も視野に入れて行っています。
また、社外でもBBT大学院で得た能力を発揮する機会を求め、同級生と共にビジネスの問題解決をお手伝いする活動も行っています。
15年前に全く別業界から現在の医療機器業界に転職、当初はセールスとして従事、その後マーケティング部門へ異動となり、現在に至っています。製品導入から日本導入後のプロモーションまで製品導入・販売のための中心的存在として海外担当部署や日本法人内の製品導入関連部署との折衝・調整と製品導入後の製品プロモーションのためのコンテンツ作成・イベント実施・営業部門への落としこみなど幅広い業務を行っています。
20代、30代前半は、自分のエネルギーを何に向ければよいか模索の時期でした。
会社に勤めていた頃は、仕事はそつなくこなしていましたが、物足りなさを感じていました。幸い転機となった時期に好きなことができる環境に恵まれ、自分がその時に一番おもしろいと思う事に120%のエネルギーを注ぎ歩んできました。
2004年に消費者心理を軸としたマーケティングサービスの会社を立ち上げました。ビジネスを進める中で自分に足りないものがはっきりと見え、それを埋めるためBBT大学院の経営管理専攻へ入学を決めました。論理的思考が鍛えられた2年間でした。現在は新規事業の準備中です。
現在調剤薬局チェーンの新卒採用を担当しております。今までは一薬剤師として現場とマネージメントがメインのフィールドでしたが、採用を担当するようになってからは採用戦略を考えることになり、大学院で学んだことが大きく役立っています。
入社以来同業界で勤務。米国LA駐在歴9年、中国上海駐在歴4年。上海は単身赴任しており、比較的に時間に余裕があった為、説明会参加後に、単科科目「問題発見思考」を履修。その後に大学院に進みました。予想が外れ、2年次の卒業研究の真っただ中で日本に帰任。転職、その他、人生の大きな転機ともいろいろ重なり、在学中の後半は目まぐるしく過ごすことになりました。