勉強するという本来的意義は、これまで知り得なかったこと知ること、とらわれていた因習や常識から解放されることだと思いました。戦略的な思考や英語が出来るようになったことにより、これまで思い込みで決めていたことも、冷静に判断することが出来るようになりました。大学院で学び、外部にアクセスするチャンネルを得ることは、既存組織で重用されることを期待することではなく、これまでの延長線上にない人生を切開くツールを得ることと同義だと思います。そのためには激しく勉強する以外に方法はないと思います。このように学んだことで、現在の様な心境に行き着きました。
情報の集め方が全く変わり、FACTに基づいた市場分析や企業分析が出来るようになったことで、計画の信頼性が上がり、方針に自信を持つことが出来るようになりました。問題を議論している時でも、問題の本質と解決の方向性が見えてくるので、その場で判断することが出来るようになりました。BBT大学院の学びは考え方を学ぶことにあるので、どのような業務に対してでも役立てることが出来ると思います。
執行部の提案する議案・新規事業には目的と方法、それを裏付けるデータを求め、現実的な内容であるか判断できるようになりました。加えて、私からの提案が出せるようになりました。
議員活動として市民からの要望・相談を受けることがありますが、その内容は時に条例や法令を超えた要望であることもあります。市民の正当な要求であるか、条例が現実に即しておらず変えるべきかなど判断できるようになり、適切な対応が取れるようになったと思います。
問題解決力;ロジックツリー、イッシューツリーなどフレームワークを使って職場の問題をとらえる基本姿勢がつきました。GMBA (グローバリゼーション専攻)ではマネージャーが遭遇する様々なシチュエーションに応じたロールプレイを行ったことでコミュニケーション力に自信がついたことから、センシティブな人事系のイッシューやコンフリクト、外部パートナーとの交渉、プロジェクトマネージメントをやりやすく、動じなくなりました。
2015年3月にMBAの学位を頂き、私的にはようやくスタートラインに立てたというのが本音です。確かに学んだこと、学んだ場面に遭遇することは既に沢山あり、その都度引き出しを開け、必要に応じた知識を取り出し、実践で活かせるようにはなっています。
しかしながら、これではまだ本物ではありません。 なぜなら、あくまでも意識しながら、再確認しながらの知識を引っ張り出していることが多く、“身についた”とは言い難いものですので、瞬時に無意識にアイデア、発想、解決策が出せるようになるまで学びのレベルを上げていきたいと考えています。
最近の記事の中で、大前学長は「日本企業の海外M&A成功率は5%だ」と仰っていました。それが事実であるならば、日本企業は根本的に認識を誤って実行しているプロセスがあるのだと私は考えます。日本企業が今後も成長を続けていく上で、海外展開は必須であり、それを成功に導く上では「5%」の原因究明とが不可欠だという信念のもと、私は、駐在員という立場を活かして、現地の文化・考え方をより深く理解することで、そのKFS(Key Factor of Succsess)を探っています。これも、BBT大学院で本質的問題点の見極め、その上で実効性のある解決策を導き出すというスキルを身に付けたからこそ湧いてきた意欲なのだと感じています。
仕事が早いね、という嬉しい声を聞くようになりました。また、成果物の差戻し、手戻りも大幅に減りました。BOND時代から通算して4年間、履修中は余裕が無く気付きませんでしたが、卒業してからは、嬉しい評価を頂く機会が増えました。まだやっとスタートラインに立ったばかりなので、更なる高みを目指してチャレンジし続け、精進したいと思います。
経験と勘ではなく、何かしらのファクトに基づいたところから自分なりの意見をぶつけることが実務において非常に役に立ってるのではないかなと感じます。マネジメント層などへの意見をぶつける際、一部署の観点からの意見と捉えられていたものが経営視点に基づいての意見と捉えてもらえることが多くなったと感じています。
一般的にニュースや新聞で「トップ記事」的に発表される企業の経営情報や製品の市場動向などを聞いて、「こういう状況なんだな」と鵜呑みにする事しか出来なかったが、その背景に歴然と潜む理由をBBT大学院での教育を通じて理解できるようになった。正確には、理解するように自分の意識が変わったと思う。
自分が課題に直面した際、その課題の本質は何か、をまず考える様になり議論のポイントを外さなくなってきていると感じています。もちろん様々な外的要因により本質の問題を解決するのではなく見えるところだけにフォーカスすることもありますが、大前提に本質の明確化をすることで大きく外れた議論や解決方法の選択をしなくなっている、と感じています。